ラタン・アート(籐工芸)との出会い
★1981年5月
私が初めて籐でかごを編んだのは、息子が幼稚園に入園してまもなくのこと。「母の会」の活動として、鉢カバーを教えてもらったのです。
家には鉢植えの植物がたくさんあったのと、もともと、手工芸が大好きな私は、簡単に1本のつるから立体を作り上げる籐工芸がすっかり気に入りました。
幼稚園で教えてもらった鉢カバーだけではもの足らずに、早速、1冊の本を購入し、手芸店で籐の材料を買ってきました。
籐のかごは短時間で編めること、また、つなぎの処理が簡単なことが、私の性格にマッチしたのでしょうか、それからは、籐をキロ単位で買ってきては、数冊の本を参考にして掲載されている作品をどんどん編んでいきました。
しかし、本は所詮、ガイドブックに過ぎなかったのです。
作りたい作品があっても本にあるような材料は地元の手芸店では手に入らないし、肝心の編みたい作品の作り方は本に掲載されていないし、作り方の出ている作品でも、肝心なところが抜けている・・・
★1983年6月
独学ではもう限界かなと思っていた時、両親が「植木祭り」の帰りにNHKのアートギャラリーで開催されていた籐の作品展を見てきました。素晴らしい作品がたくさん展示されているということで、私にも見てきたらいいと勧めてくれたのです。
それが、「ラタンアート」だったのです!!
『ラタン・アート』・・・それは、もう、籐のかごの世界ではありませんでした。そこにあったのは、夢・・・まさに、ファンタジー!幻想の世界でした。
美しく染色された花々、愛くるしい人形たち、そして、オブジェ・・・
籐に限界を感じていた私は超感動!!その場で、「真木雅子ラタンアートスクール」に入会希望を出し、翌週のお稽古日には、教室にいました。
ラタンアートの出会いが、それからの私のターニングポイントになりました。
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